数珠(念珠)のお話し

 

昔、「霊鷲山」におられたお釈迦様のもとに波瑠璃国の使者が来て、『我が国は小さくて、しきりに他の国から攻められ、そのうえ疫病が流行して国民が困窮しており、国王が腐心しております。 なんとか逃れる方法はないものでしょうか』と教えを乞うたのに対して、お釈迦様が波流離国の王に「百八のモクケンシの実をつないで、いつも手にして心から三宝(仏・法・僧)の名を唱えなさい。そうすれば煩悩が消え、災いもなくなります。心身も楽になるでしょう」と語ったことが、「仏説モクケンシ経」に説かれています。
 *三宝の名とは、「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」と称えることです。
 *モクケンシとは、羽子板の羽根の重しになっているムクロジの実のことです。
しかし、「過去無量恒河沙の諸仏の説くところ、一百八数を念珠の量となす」と記している経典がありますので、数珠の起源は、お釈迦さまよりも古いとされています。
お釈迦さまの教えが経典となって、広く世間に流布するのは、お釈迦さまが涅槃に入られてから五百年ほど経ってからですが、その間に数珠も、数の概念や一つ一つの珠の意味づけがされ、経典にも説かれて、仏教の法具として欠くべからざるものになっていくのです。仏教が中国から日本に伝来したとき、数珠も一緒に入ってきました。
正倉院には、聖徳太子が愛用された蜻蛉玉(とんぼめ)金剛子の数珠や、聖武天皇の遺品である水晶と琥珀の数珠二連が現存しています。
すなわち、天平年間には数珠が伝えられていたことになります。
それが仏具として僧侶以外の一般の人々にも親しまれるようになったのは、鎌倉時代以降のことです

 

数珠は正式には百八個の珠が二重になり、これに房や飾り玉がついています。この百八は、人間の煩悩の数といわれています。宗派によって多少異なりますが、現在では五十四個、三十六個、二十七個、二十一個などと珠の数は少なく、一般的には一重の略式の数珠が使われています。男性用は、珠は幾分大きく、女性用は小さく作られています。

 

数珠の正しい持ち方は、座っているときは左手首にかけ、歩くときはふさを下にして左手で持ち、使わない時はふさを下にして左手で持ちます。(長い数珠は二重にします)なぜ左手なのでしょう?それは、左手は仏さまの清浄な世界、右手は信仰の世界、すなわち私たちの世界を指しているからなのです。